Tuesday, May 15, 2012

Chocolate History in Japan



日本での外国の文化の影響は年代によって大きく違って、特に最後の戦争の前と後では全く違います。
90歳以上のお年寄りの知っている外国文化は食べ物も音楽もロシアやヨーロッパの物が多く、70歳以下の知っている外国文化はアメリカ由来の物が多いようです。
もしかして日本のチョコレートもそうなんじゃないかなと思って少し調べてみました。

戦争の後にアメリカ人が日本にチョコレートを広めたと思っている人がいます。
わたしが小さい時には、外国のチョコレートと言えば、ハワイのマカデミアチョコレートやハーシーズが有名でした。
子供の時にヨーロッパのチョコレートを食べると、マジパンが入っていたり、クリームの入ったプラリネとか、チョコレートにいろいろ混ざっていて、大人のお菓子だなあ。と思って少し変な風に感じていました。

日本のチョコレートの歴史は結構長いようです。
1700年代にはオランダ人がお土産に持ってきて、女の人の気を引く為にプレゼントしていたらしいです。
1797年には遊女のプレゼントリストに「しょくらあと 6つ」と書いてあるそうです。
いつの時代もチョコレートは女の人への最高のプレゼント!!
その後1871年に日本から岩倉使節団という政府が派遣した107人のグループの人々がパリのチョコレート工場を見学に行き、そのおいしさに魅せられて日本へ技術を持ち帰りました。
初めての国産チョコレートは1878年に出来上がったそうです。
大量生産が始まって、庶民でも楽しめるようなになったのは1918年。それが今でも有名な明治チョコレートです。
ここまではまったくアメリカのチョコレート文化の影響はありません。
1940年までに戦争の影響でカカオ豆の輸入ができなくなり、戦争が終わる1945年までの間に菊芋Topinambour等を利用してチョコレート作りを挑戦していたようです。
戦争が終わって1960年にカカオ豆の輸入がとうとう自由化になりました。どうやらこの間に日本中にアメリカのチョコレートが広められたようです。

私の最近のお気に入りのベルリンのショコラティエErich Hamann。
彼らは1912年に創業。やはり戦争中にはカカオ豆が手に入らず閉店していたそうです。

Erich Hamann
http://hamann-schokolade.de/01_Geschichte/geschichte.html

By Mrs. E

4 comments:

  1. ”しょこらあと”ってかわいいね。日本にもそんな昔からしょこらあとがあったんだね。すごく限られてる人だけがたべられたんだろうねー。

    ReplyDelete
  2. コメントありがとおお!
    遊女がオランダ人からいただいたみたいよ♪出島でかしら?新しい食べ物に挑戦するのいつでも女の人!!!

    ReplyDelete
    Replies
    1. 遊女かあ。。。もっと前からコメントしてたんだけど、なぜか書き込みできなかったんだよ。面白いからたくさん書いてね。

      Delete
  3. ありがとー!!日本のふるい時代の事を調べて、ベルリンと比べるのが大好き!また更新がんばります☆

    ReplyDelete